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sing & sing a song

日々徒然


夜、ミムラスのリハが始まるまでに東京戻ればと、群馬の病院に入院しているおばあちゃんのお見舞いに帰りました。

おばあちゃんの経過を見ていると、人間たらしめるものの大切さを実感します。

老人介護施設に入れば、家族と会う時間が減っていく。去年は母が入院していたから、介護施設のお世話になるのはやむを得ない事情だったし、それでも気丈に振舞っていたおばあちゃんも、私が一人で会いに行ったとき一緒に歌を歌ったりしながら、話してくれたんです。「この歳でさ、もう一度家に帰れるとは思わないけど、、帰れたらまたピアノが弾きたいわ~」って。だから、私は絶対、家に帰してあげたいと思った。

母が退院してからも、家族で、皆が無理をしない方法で、かつ、おばあちゃんにとっても食べやすい食事やお風呂の事情を考えて、施設にしばらく預けることになりました。

しかし、施設は(どこも?)人で不足、介護士さんが日々こまめに一人一人のご機嫌を伺うようなことをするのは難しい。おまけに、施設のほかの入所者さんは見ていると、あまり家族がマメに会いに来ている様子もない。そこに対し、ちょくちょく会いに行ってた両親も少々遠慮し、週1とかのペースになっていく。
そして、あるとき、おばあちゃんは「人の手を借りずに自分で」トイレに行とってみよう頑張って、転んでしまい、足の骨を折ってしまった。

足の骨は、驚くことに97歳だというのに、順調に再生し回復していった。だけど、今度は、「また転ばせてはならぬ」と、施設の提案で、介護用オムツで用を足すよう勧められた。怪我をさせてはなるまいと、両親も承諾し、おばあちゃんのオムツ生活が始まる。

しかし施設に会いに行くと、おばあちゃんは私に「トイレ行きたい」という。でも、傍にいる施設の人は「オムツにしていいのよ」と言ってなだめる。

そして、ある日から、謎の高熱が続く。膀胱炎のようなものらしい。オムツに排泄したものからの感染。老人は体内の水分が少ないから熱もなかなか下がらない。そして、病院へ移り入院。

病院は、介護施設よりもっと、サービス面では事務的な場所というイメージがある。主にベッドに寝て療養、治療。食事も、施設のとは違い、カロリーが少ない。おばあちゃんも微熱でだるそうだし、家族も会いに行ってもわりと、そっとしておく感じ。

それが続いたある日の晩、父がしょげた声で電話してきた。「病院からさ、おばあちゃんの終末医療について、サインしろって話があってね。もしものときは、延命治療をするって方にサインしたんだ。。」と。近々のことではないが、”延命”なんて言葉が出てきたもんだから、びっくりしたのでしょう。とりあえず、今は膀胱炎を治すために水分を摂らせてね、などと父を励ましたのだけど、それからずっと気になっていた。

「人が生きるパワーは”want”なんじゃないか」と。
怪我しようがトイレはトイレへ行く、とか、バランスがどうあれ食べたい食事を食べるとか、誰かの優しさに触れたい、誰かと楽しく喋りたいとか。仕事じゃない、人の眼差しがあること。イコール、やはり誰かの”愛”であり。

入院が長引いてきたおばあちゃんは、笑顔もなくなり、激痩せしていた。私は「このままじゃ嫌だ」と思い、ちょくちょく時間を見つけて会いに行き、一緒に歌を歌おうと思った。

今日も会いに行ったのだけど、笑顔はなく、目を閉じて応答するぐらいだった。「おばあちゃん!アッコちゃんだよ!!」と無理やり満点の笑顔で手を握ると、目を開いて、少し笑おうとしてくれた。
そして、iPhoneに録音してった、実家のアップライトピアノで弾き語りした唱歌を幾つか耳元で聴かせる。すると、じっとしていたおばあちゃんの手が、指揮者になり、音を外しながらも歌詞をすらすらと歌い出す!

「きゃーー!スゴイじゃん!なんで歌詞思い出せるの!?」思い切り褒めてあげると「その昔は幼稚園でピアノ弾いてたからね」(幼稚園の先生だった)と喋りだす!

私は内心「そうそう、きっと彼女に必要なのは、これだよね!」と確信する。歳をとって、日々に新しい話題はなくなって、誰かと共有するものが減っても、音楽はずっと一生共有できる。それに、その人が生きてきた過去も。

お金なんて不要だ!なんて極端なことは言わない。だけど、人は、人がいれば、生きていけるのかもしれません。心地よい、気持ちいい何かが暮らしにあることが、本当は凄く大切なのかも。

「正しさ」や「効率」で順位が追いやられてしまった、人が持つ素直な感覚を、大切にしていきたいです。

*写真は、病院に向かう道の途中。