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their choice

日々徒然

社会の色々なことが起こるタイミングでもそう、作品発表でも意見を書くのでもそう。ネットで見かける批判はひどくこき下ろされてしまう言い方が多いし、打ちのめしたいほど正義感が振りかざされていることが多いもんです。

少し前、病気持ちの友達が、仕事を休むたび書いていたブログに匿名で嫌なコメントを貰っていたく傷ついていた。その批判した人はなぜ、他人がサボってのんびり過ごすと批判したくなるのだろう?サボるのが嫌い?弱音を聞くことをそこまで拒絶する理由は?「あなたはお気楽でいいね!」と批判したくなる自分の奥に、その人自身が自分でも嫌なのに自分を縛っている、厳しい規則を信じ込んでいる(信じ込まされている)ということに、気づいているでしょうか?

私も含め、さぼりたいし、でも頑張りたい物事も大いにあるし、人を嫌いになったり大いに愛したり、移ろいながら暮らしているわけなので、自分も自由でいたいぶん、他人の独自のリクツや考え方も、なんとなーく寛容に(好き嫌いは別として)聞こうと思う。

何かひとつ間違いをしたときに、袋叩きのように正義で批判することも、豊かな行為じゃない。好き嫌いを表明するならまだいいんだけど。

友達の話に戻ると、やはり、「お気楽でいいね」と批判しているご本人も「働きたくもないのに働かされている、これぞ社会人」と思わざるを得ないのだろうと察しがつきます。それは「自分の人生は、自分で選択できた好きな生き方をしていない」ということで、でもやはりどんな理由でも大もとをたどると、自分でその時守りたいもの・欲しいものを選んできた結果なんですが。そう考えると、その言葉は本当は批判している人の個人的な叫びであるわけで、受けた側はいい気はしませんのでなるべく聞きたくないですが、その批判を自分の価値に照らし合わせなくてもいいんだな、とわかります。

友達には、誰にも遠慮せず、その子らしい好きな生き方ができるようになったらいいなと、心の中で応援しています。