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グランマ

日々徒然

昨晩実家から電話があって、祖母が救急で入院したと。熱出してから、血中の酸素飽和度が低下しているそう。
先日98歳のお誕生日を迎えたばかり!なんとか、もう少し。回復してほしい。
私も家族も勝手だな・・。安定しているときは、お見舞いもさしてマメでないのに、少し具合悪くなると大慌て。
ごめん。
そして「私が与えられるものはなんだ?」みたいな、偉そうな発想がすぐに浮かんでくるあたり、自己満足的な勝手さを情けなく思う。
人は、愛(や自然)に触れないと、急激に弱ってしまう。
施設で、家族の面会頻度が減り、彼女だけに注がれる、目や声やふれあいが減り、弱らせてしまったのではないかと悔やまれる。
私たちは、何かができるから愛される、のではないはずで。何かをしないと愛されないわけじゃない。
なのに、会いにいくたび、何か特別な施しをしてあげないと!と気負いすぎて、会いに行く頻度が落ちて。。
ただ一緒にいるだけの時間を持てなかった。そんなの、彼女は望んでなかったろうに、こっちの勝手な発想じゃないか!
今の状態が、症状なのか、自然な成り行きの状態なのか、まだ検査結果を待っているのだけど。
何をしたいかな?
もう一度目を覚まして、起きている時間がやってきたら、ピアノの音が出るおもちゃの小さなシンセを買ってって、弾かせてあげたい。弾けなかったら、私が弾いて伴奏しよう。・・そんな日がやってくるように、眠っている手をなでなでして、話しかけて、ぬくぬくさせてあげたい。
・・・という、結局私の欲求。危なくなってから急に詰め込まれたって、受け取る方は困るかもしれない。
祖母は本当は何を望んでいるだろう?