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今日と同じ明日はやってこない

日々徒然

ミムラス内藤彰子少し前に飼っていたメダカが全員寿命を全うし、新しくドジョウを飼い始めた。「ドン様」「ジョー様」と名付けて、おとぼけ顔の2匹を可愛がっていたのだけど、つい先日「ジョー様」は水カビ病をこじらせてしまい死んでしまった。しばし塩水で休んで一度は持ち直したけれど、薬浴前にだめだった。お別れは家の前の土に埋めた。残る「ドン様」のために、もう一度水のたてなおしからやってあげなければ。

喜ばしいニュースもあった。先日、群馬の祖母が100歳のお誕生日を迎えられたこと!ゆるやかに体力は落ちているけれど、音楽を聴けば頷いてリズムをとったり手を振ったりしてくれる。もう、祖母にあげられるプレゼントはモノでは一つもなく、傍にいる気配や触れ合いだけ。誕生日は、爪を切ったり、お肌にいい匂いの化粧水を塗ってあげたりした。「本当はそっとしておいてほしいのではないか?」と思うこともあるから、ほとんど目を開かない祖母の表情やしぐさを伺いながら・・・少しは喜んでくれているといいけれど。

しかし、人がほんの100年足らずの間、偶然地球上に出現して消えていく、これって何なのだろうなあ? 100年も生きることは本当に凄いけれど、こんな流れはいつまで続いていくのかしら?何億年?何千億年? そう考えると、恋をしたり、歌を作ったりするなんてことは一瞬で、その更にミクロの点のような時間で、くよくよしたり、喜んだりしてる。私たちはなんて可愛いことをしているのだ!笑 
地球の歴史から見たら、色んなことはどうってことない。私が恥をかいても、うまくいっても、100年足らずの何かであり、きっとそんなに未来まで覚えている人など誰もいないこと。だからこそ、色んな巡り合わせの偶然て凄いのではないかしら。

「ジョー様」を埋めるとき、家庭の水槽に来るという偶然の境遇を、彼が心地よいと感じていてくれたらいいなと思った。