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普通って

日々徒然

私たちは普通になりたかったり、普通になりたくなかったりする。
「普通の人じゃないね」と書くと、”普通”が謎のまっとうないい感じになったり、逆に、”普通”が凡庸で悪い感じの意味になったりする。
「君の音楽は普通だ」とか「あいつの音楽は普通なんだよ」とか言う人がいますが、心底残念な気持ちになります。音楽は、他と比べて普通かor普通じゃないか、が勝負どころではないからです。まあそもそも、どこを”普通の中心”と見ているかは謎ですが。
本当は、他との違いを出そうとする必要もなく、皆、他とは違うはずなんです。だから、普通なんてものは、本当はないし、逆に「普通じゃない感じにしたい」という姿勢で作られたものは、(音楽に限らず、食べ物、お店、洋服、小説、ほか何でも!)バレちゃってなんか白けてしまう。さらに、「もう飽きたよ、その感じ!」っていう場合は、自分じゃない他の成功例を目指して作られているもので、それもそれで作る意味あるのかな?って思うけど。。
また、普通だと言う人が「心が動かされなかった」と言いたいとすると、表現者側ばかりでなく、受け手側にも、純粋に聞けなくなっているのでは?と思うんです。だから一概にどっちとは言えないし、感性の違いもあるし。
「君を愛してる」
こんな歌があったら普通でしょうか?
私は、ある場合は何も感じない言葉になり、ある場合はグッとくるものになると思うのです。「君を愛してる」と歌う人や発表する人にとって、もうそれだ!!という実感があって本当にそう感じたのなら、たくさんの人に使われている言葉でも良いものであるはず。そして、そこを「普通(凡庸)」と言われたって、?? なわけです。
でも発表する人が、少しでも妥協している場合は、やはり、グッとこない。飾っても、ウマいこと言っても、グッとこない。
歌詞だけでなく、ギターの弾き語りのようなスタイルや、アレンジ、サウンド、色々な場面に対して、やっぱり「その人の感動」なんじゃないかと思う。グッとくる音楽、人、物と出会いたい。グッとくる音楽を作りたい。
*写真は、吉祥寺へ観に行ったライブ。アンプラグドのため、至近距離!